人間は誰かの役に立たなくちゃダメなのだろうか?

2020/07/29

社会 生き方

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人間は誰かの役に立たなくちゃダメなのだろうか?

音楽家の坂本龍一氏の記事と、探検家の角幡唯介氏の記事を引用します。

「芸術なんて役に立たない」と言い切る坂本龍一氏。逆にすがすがしい。


坂本龍一「“無駄”を愛でよ、そして災禍を変革の好機に」 文明をバージョン1.5に進化させるために | 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム)

「根本的には人間にとって必要だからとか、役に立つから保護するという発想ではダメです。芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。お金を生み出すかどうかも分からない。誰かに勇気を与えるためにあるわけでもない。例えば音楽の感動なんてものは、ある意味では個々人の誤解の産物です。理解は誤解。何に感動するかなんて人によって違うし、同じ曲を別の機会に聴いたらまったく気持ちが動かないことだってある」

「僕自身、音楽を聴いて癒やされることはありますよ。でも、それは音楽自体が力を持っているということではない。僕の音楽に力なんてないですよ。何かの役に立つこともない。役に立ってたまるか、とすら思います」

「文化芸術なんてものは、必要があって存在するわけではないと思った方がいい。だから、行政の側が支援対象を内容で選別することはもちろん、作り手側が、何かに役立とうとか、誰かに力を与えようなんて思うことも本当に不遜で、あってはならないことだと思います」

「芸術なんていうものは、何の目的もないんですよ。ただ好きだから、やりたいからやってるんです。ホモサピエンスは、そうやって何万年も芸術を愛(め)でてきたんです。それでいいじゃないですか」


これはすごいですね。

「音楽が役に立つ場合もある」などという生易しいものではない。

音楽に力なんてない。何かの役に立つこともない。役に立ってたまるか」とまで言い切っています。

この力強さ。

理屈を超えています。

逆に言えば、だからこそ音楽は素晴らしいのかもしれません。


役に立つとか立たないとか、その前に大事なことがあるのではないか?角幡唯介さんの考え方

角幡唯介「あなたの探検や本は社会の役に立ってないのでは」に言いたいこと | 文春オンライン

探検家・角幡唯介さんのこのツイートが反響を呼び、「社会の役に立つ」ことと、夢や仕事、生き方にまつわる様々な意見が寄せられました。




「20代くらいの記者の方だったので、「本当にみんな、そんなこと思ってるんですか?」と聞き返したら、自分たちの世代は社会への還元とか生産性の向上を考えるべきだという思考を強いるような「圧力をすごく感じるんです」と。なんとなく社会の雰囲気として薄々は感じるじゃないですか」


――角幡さんご自身はこれまでにそういう圧力を感じたことはありませんでしたか? 函館ラ・サール高校、早稲田大学への進学や、朝日新聞に就職した時などに。

角幡 記憶にないですね。そもそも僕は、社会の役に立ちたいと思ったことがない人間ですから。むしろ役に立ちたくない(笑)。大学に入った頃は「社会に迎合したくない。迎合したら敗北だ」という一心でした。


角幡 僕にとってはものすごく単純な話だと思えるんです。つまり自分に由来しているかどうか。「内在」によって引き起こされた行為かどうかが重要なのだと。

――内在。最初に「あなたは何をやりたいですか?」から始めないと、ということですか?

角幡 そうですね。「人や社会の役に立ちたい」と考えるのは至極けっこうなことで、ただし自分の経験や生きてきた結果として、そう考えるようになるのが自然だと思うんです。でなければ、その言葉を発する背骨というか土台がないままで、単なる上っ面でしかなくなる。それが僕には嘘くさく、偽善に見えます。

ここですね。

自分の生きてきた結果として「人や社会の役に立ちたい」と考えるようになるのが自然、なのだと。

まずは「自分がやりたいことをやる」ということ。

そこからスタートしないと、路頭に迷うことになる。


「外側の論理」だから圧力や強制力を感じる

角幡 これまで話してきた「社会の役に立つ」「生産性に貢献する」ことへの圧力というか強制力を感じるというのは、それが外側からの要請であって、外側に由来するものだからです。たとえば政府が国力を高めたい、企業が生産性を高めたいから「社会や人の役に立ちましょう」と言う。外側の論理としては正しいのかもしれませんが、僕ら一人ひとりの論理としては、単なる「社会の役に立つ有用な人間」としてからめとられてしまいかねない。

 そうやって自分の外側から発せられる社会の要請に言われるがままに生きていったら、たとえば40歳になった時、自分の生き方に納得できるのか。自分の内側から発してくるものによって言葉や行為がつくられていないから、いつまでたっても「結局、俺はいったい何者なんだ」と空疎な思いを抱き続けることになりかねません。


なんか、いろいろ考えてるうちに、よく分からなくなってきました。

というか、正直に言うと「水曜日のダウンタウン」を観ながら書いてるんで、気が散ってよく分からなくなってきました。

役に立たない人間は生かしておく価値もないのか?

我々一人一人に与えられた宿題のようなもんですね。

各自がしっかり考えておくように。

では、今日はこのへんで。

明日、加筆修正する可能性あり。


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